ナポレオンダイナマイト

バスに揺られるたびに思い出すのは、高校の3年間です。

 

高校へは自転車でも行ける距離でしたが元来の面倒くさがりがあったのと、母親が定期代をケチらなかったので甘えることにしました。

 

バスの中は電車よりも狭くて、皆が肩を小さくして揺れに耐えながら運ばれていきました。

ギチギチに詰められ、さらに乗り込んでくる後続のお客や、頑として一度決めた場所を動かない輩。

毎日渋滞して、ダイヤグラムなんて嘘っぱちに成り果てた道中、30分弱の旅は1時間、多い時はもっと増えました。

 

電車よりも狭い車内は空気が死んでいました。

新鮮な空気なんてものはとうに失せ、過敏な人はハンケチで口元を押さえていました。

そんな繊細なご婦人はぜひに降りていただいてタクシーでも使っていただければよかったのですが、不景気なのでしょうか。

皆不機嫌を募らせながら運ばれるのです。

 

僕が乗るバス停は、始発駅を出て数個先だったので朝の時間でも席が空いていることが多かったです。

いつも代わり映えのしないお客さんばかりだったので、ここから先の混み始めるバス停へ一緒に向かう同士だと勝手に思っていたものです。

 

そんな味のしなくなったガムみたいな通学路でしたが、一度だけ不思議な人と会いました。

 

その日僕は、2人がけの席が空いていたので窓側に詰めて座りました。

座り心地を確かめ、深く腰掛けると僕の横に座ろうとするおじさんがいました。

 

おじさんは、日に焼け健康的な体つきではありましたが6月だというのに鎖かたびらみたいな編み編みのタンクトップに、皮のスキニーパンツといった風体でした。

 バス停で僕の後ろに並んでいたのでしょうか、全く気付きませんでしたが確かにおじさんは僕の隣に座ろうとしていたのです。

 

やべえやつが乗り込んできたなと、憂鬱な心持ちになった僕は、始まったばかりの旅路に不安を感じました。

 

案の定、おじさんは座るなり僕に話しかけてきました。

 

「ティーンかい?」

 

おじさんは確かにそう口に出しました。

 

こいつ頭のネジ子宮に置いてきたタイプの人だと瞬時に察知した僕はおじさんとの適切な距離感を探りました。

 

僕の住む街ではこういった輩は無視を決め込んでも、深入りしすぎても傷を負うので適切な対応が求められました。

僕は探るように

 

「17歳です」

 

と死んだ顔で答えました。

死んだ顔を見てコミュニケーションをやめてくれることを期待しましたが、おじさんは僕の顔なんかほとんど見ずにこう言ったのです。

 

「若えな。無茶しろよ」

 

まじでなんなんでしょうかほんとに隕石でも直撃すればいいなと思いつつ僕は気のない声で

 

「はい」

 

と返事をしました。

 

そこから数個のバス停を過ぎる間、おじさんは僕に話しかけることなく意味のわからない気まずさだけが漂っていました。

気のせいかもしれませんが首を揺らしてリズムを取っていたようにも見えました。

 

そして普段なら誰も降りることのない、人が乗り込んでくるだけのバス停に到着するアナウンスが響くと、降車ボタンを押す音が聞こえました。

 

おじさんでした。

まだ出発して5分ほど、乗車したバス停から歩いても来れる距離でしたが、おじさんは降りるようでした。

 

おじさんは僕と目が合うと、

 

「ロックは詳しいんだぜ」

 

と謎めいた遺言を残して降りていきました。

 

僕が余りの支離滅裂さとスピード感にぽかんとしていると肩を叩かれました。

今度はどんなクレイジー野郎に絡まれるのかとビクビクしながら振り返ると、いつから乗っていたのか友人が後ろの席に座っていました。

 

「あいつロックだったな」

 

と友人は呟くと、そのまま眠りに入りました。

こいつもこいつでなんなんだよと思いましたがツッコむ気力もなく僕はバスに揺られ始めました。

 

そしてその後、一度たりともそのおじさんを見ることはなく、友人と僕が話しかけられたのはロックの妖精だったのではないかと話しました。

 

そんな新幹線の切符を買いに行くバスの中から思い出話でした。